洪水とダム#05 - 大井ダム2018/07/24

7月7日 笠置水力から木曽川右岸を大井発電所まで遡る
 この一本道はかつて、笠置発電所の建設資材を運搬する重要なルートだった。
堤体打設時、一度に大量輸送が必要なセメントは、中央線大井駅に専用プラットホームと倉庫を仮設し、中野方川合流地の河合に造った仮倉庫まで索道(11.7km)を敷設。河合から工事現場までは、在来道を改修し、専用軌道レール4.7kmを敷いて運んだ。
 骨材と砂は久須見*で採取された。採掘場所から現場までは、セメント用とは別の索道を張って運んだ。骨材用索道は、後に三浦ダム建設で長大な索道を敷設する玉村勇助が、セメント用索道は吉田式索道の発明者・吉田直美がそれぞれ現場で指揮を執った。
                          「流れとともに」による

 *関心事;久須見の骨材採取場所は何処だったか?-ダムの工事期間;昭和9-11年
笠置ダムの提体積は117,000㎥。アバウトに想像すれば、採掘場に提体積と同規模の穴が残りそう、仮に1辺100mの正方形に掘れば、深さは10m以上になるかも・・・
 現地を自動車で通過しているときは、その場所が全く見当がつかなかった。それで、終戦直後に米軍が撮影した空中写真を眺めてみた-ここではなかろうか?
恵那市久須見の骨材採取跡?
標尺は電子国土Webで橋の長さを参考にした。
”光の当たり具合”の違う別時期の写真を下に置きます.
恵那市久須見地内


いよいよ大井ダム
ダムの850m手前で小休止:
初代東雲橋跡
ここからダムの水しぶきが見える。
大井ダム遠望

まっすぐ見学者用の駐車場に入り、東雲橋右岸から見学;
右岸下流から大井ダム
橋を木曽川左岸まで渡ると;
東雲橋左岸から大井ダム
 大井ダムの約300m下流で、右岸から和田川、左岸から阿木川が合流している。
両河川共に水が澄んでいて、木曽川本流とは大違いです。川の防災情報で、阿木川ダムの貯水率をザっとみたところ、一足早く夏季休暇中~というか、台風シーズンに備えているようです。ここ大井ダムは、建設当初から洪水調節を義務付けられていないので、写真撮影中の今、豪雨が襲来しても、降る分をそのまま下流に流すだけ~・・・

 洪水に堪能して帰る気分になった頃、ツレアイが関電さんの敷地へどんどん入ってゆく-主婦族は全くもって・・・ 仕方なく後を追いかけると、堤頂に出た。
そこにゲートの開き具合が分かる大きなアナログ指示計があった。
大井ダムゲートの開度指示計
 上写真は右岸に近いNo.5ゲートで、63cm開いてる。向こう岸に進むと、指示値が大きくなっていて、中央付近(?)で1.3m。指示計下方のゲートと水流は、直接には目視できないので、右岸の袖から水しぶき覚悟で覗く;
大井ダムの放流の様子
 放流水の通路が両岸ともに下部で狭くなっていて、右岸には管理用の道もある。それで岸に近い所のゲートは、少なめに開けてあるのでしょう。ここまで書いて、あらためて東雲橋からの放流の全景を見直すと、ゲート毎の放流量に差があることに気づく。
 
 大井ダムが眼前で吐き出している放流量は、下流にある丸山ダム流入量を参考にすると、900㎥/sくらいでしょうか。この値は四国地方建設局・野村ダムの計画最大放流量400㎥/sの2倍くらいだなぁ~  野村ダムが今回流した最大量(千数百㎥/s)よりも、こちらの方(丸山ダム7月6日の放流)がはるかに大きい。
  

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