(訳)ハウダのパイプ産業史#02 ― 2011/10/31
§2. 浮き彫り模様のあるパイプ
1698年にハウダ市参事会は次のことを承認した: 『釉薬を使わない普通のパイプボウルと柄の表面に、同業者組合の許可を得れば、さまざまな図柄を付けてもよい』。 この決定が明確に表明されたことで、その後さまざまな業種の親方たちも同一の図案を使う事が許されなくなった。他方で、ボウルの表面に飾り模様をもつこれらのパイプは、より少ない数のパイプが入念な仕事によって作られるようになった。
上薬を使わない乾燥状態で、”めのうAchastein” や ”磨いた石Polierstein” と呼ばれるような、より良い種類のパイプが後に作られるようになった。このような綿密な仕事の開始が、後の時代で美しく完全なパイプの製作につながった。これに関して最も美しいサンプルは、いわゆる≪花婿のパイプ*≫である。パイプの表面に飾り模様をつけるために、銅製の型枠に入れて模様を刻む必要が生じた。
*蘭:bruidegomspijen,独:Bräutigamspfeifen,仏: pipes de fiancéと書いてあります
§3. パイプの種類と様式
パイプの形は時の経過とともに幾重にも変わった。バレンツBarentszが1617年にハウダで作り始めた時には、煙草は非常に高価だった。この理由で小さなボウルのパイプが作り始められその後に煙草の価格が安くなって初めて大きなボウルのパイプが作られた。粘土は抵抗力がなく自由に変形するので、パイプの柄はかなり不格好にならざるを得なかった。太い棒のような柄<または軸>と比較的小さいボウルを持ったパイプは、ヤン・ステンJan Steenや、アドリアン・ブラウワーAdriaan Brouwern などの絵画に多く見られる。1660年以降、同業者組合が創設された頃には、ほっそりした柄をもつ洗練された形のパイプを作ることができるようになった: そこで人々は柄の長さが短い、長い、両者の中間という3タイプのパイプを知るようになった。
およそ1700年頃には、より良質な粘土の使用が可能となってパイプの輪郭が華奢<きゃしゃになり、また柄も薄くかつ細く作ることができるようになった。30年後には、再び非常に長いパイプが流行し、この様式は1800年代の終りまで他のパイプよりもことさら好まれた。1900年代には多くのさまざまな形が作られたが、美しさに関しては先行世紀に遅れをとった。一部では、過度に大きなボウルが作られた。このことは17世紀の美しくエレガントな形は忘れられたことを意味するかもしれない。
#03へ続く
参考図
1698年にハウダ市参事会は次のことを承認した: 『釉薬を使わない普通のパイプボウルと柄の表面に、同業者組合の許可を得れば、さまざまな図柄を付けてもよい』。 この決定が明確に表明されたことで、その後さまざまな業種の親方たちも同一の図案を使う事が許されなくなった。他方で、ボウルの表面に飾り模様をもつこれらのパイプは、より少ない数のパイプが入念な仕事によって作られるようになった。
上薬を使わない乾燥状態で、”めのうAchastein” や ”磨いた石Polierstein” と呼ばれるような、より良い種類のパイプが後に作られるようになった。このような綿密な仕事の開始が、後の時代で美しく完全なパイプの製作につながった。これに関して最も美しいサンプルは、いわゆる≪花婿のパイプ*≫である。パイプの表面に飾り模様をつけるために、銅製の型枠に入れて模様を刻む必要が生じた。
*蘭:bruidegomspijen,独:Bräutigamspfeifen,仏: pipes de fiancéと書いてあります
§3. パイプの種類と様式
パイプの形は時の経過とともに幾重にも変わった。バレンツBarentszが1617年にハウダで作り始めた時には、煙草は非常に高価だった。この理由で小さなボウルのパイプが作り始められその後に煙草の価格が安くなって初めて大きなボウルのパイプが作られた。粘土は抵抗力がなく自由に変形するので、パイプの柄はかなり不格好にならざるを得なかった。太い棒のような柄<または軸>と比較的小さいボウルを持ったパイプは、ヤン・ステンJan Steenや、アドリアン・ブラウワーAdriaan Brouwern などの絵画に多く見られる。1660年以降、同業者組合が創設された頃には、ほっそりした柄をもつ洗練された形のパイプを作ることができるようになった: そこで人々は柄の長さが短い、長い、両者の中間という3タイプのパイプを知るようになった。
およそ1700年頃には、より良質な粘土の使用が可能となってパイプの輪郭が華奢<きゃしゃになり、また柄も薄くかつ細く作ることができるようになった。30年後には、再び非常に長いパイプが流行し、この様式は1800年代の終りまで他のパイプよりもことさら好まれた。1900年代には多くのさまざまな形が作られたが、美しさに関しては先行世紀に遅れをとった。一部では、過度に大きなボウルが作られた。このことは17世紀の美しくエレガントな形は忘れられたことを意味するかもしれない。
#03へ続く
参考図
【写真説明】
装飾付きハウダパイプの部分別写真で、ボウルにメリクリウスと(ハッキリ見えないが)ネプチューンが浮き彫りされている。銘文は『貿易と航海が良い状態で、祖国が繁栄を続けるように.ウィレム・ブヒェール,ハウダで製作』
このおそらく1816年製のパイプの現所有者は、ハウダにある”ホーダヴァーヘンス・オランダパイプ製陶工場である。軸にある蔦の飾りは様々な種類のものが生まれた。この飾りは学校の専門性を表す。
=======
【番外編】 - chibouk -チブークパイプ:(仏語では)トルコの長ギセル
昨日辞典を見なおして後、語尾のkが気になっていて、Googlの日本語窓に≪キセル≫を入れて、似た音を使う言語を探したところ、唯一の類似例が
≪マケドニア語:цевкиツゥエブキ≫ ≒ ≪フランス語:シブク≫
専門家の見立てを知りたいところです。
装飾付きハウダパイプの部分別写真で、ボウルにメリクリウスと(ハッキリ見えないが)ネプチューンが浮き彫りされている。銘文は『貿易と航海が良い状態で、祖国が繁栄を続けるように.ウィレム・ブヒェール,ハウダで製作』
このおそらく1816年製のパイプの現所有者は、ハウダにある”ホーダヴァーヘンス・オランダパイプ製陶工場である。軸にある蔦の飾りは様々な種類のものが生まれた。この飾りは学校の専門性を表す。
=======
【番外編】 - chibouk -チブークパイプ:(仏語では)トルコの長ギセル
昨日辞典を見なおして後、語尾のkが気になっていて、Googlの日本語窓に≪キセル≫を入れて、似た音を使う言語を探したところ、唯一の類似例が
≪マケドニア語:цевкиツゥエブキ≫ ≒ ≪フランス語:シブク≫
専門家の見立てを知りたいところです。
コメント
_ 黒時計連隊 ― 2011/10/31 23:32
_ ignis ― 2011/11/01 00:07
ありがとうございます。
パーツ名詞が元になっている訳ですね。
パーツ名詞が元になっている訳ですね。

トルコ語でçubuk
はステムの意味があるようです。