兼山ダム見聞記#02-旧八百津発電所資料館2017/01/07

1月7日土曜日、晴れ
最寄りの図書館で
兼山町史を読む。兼山ダムの記述は予想通りでした。
兼山町史
写真1 兼山ダムの記述. 兼山町史p384より
完成は昭和18年3月であると分かった。
ダムの高さと長さはそれぞれ36m,193m。発電のための水頭差は23m  -以上。

冒頭句『加茂郡八百津町大字和知ワチにある・・』➡八百津町史を探さないとダメ!
このダムは、”和知ダム”ですね。遠方の地元民なので、今日まで錯覚していました。
折角なので、何かの参考になりそうな記述を探すと、興味深い頁があった。
木曽川の筏流し関係
写真2 兼山町史、第六章第三節。
木曽川の筏下り”に関係する部分の一節で、戸立巻(読めません)と留木(トメギか?)

注目は2文目。『此処は・・文末は次ページで、ゆるやかに大逆流するのである。』
本文中ほどの『大通寺下の呑江の大岩壁』は、正に兼山ダム左岸下流に見える其処
本文の上の絵図は『伊岐津志いぎつし村から兼山村・』とあるので、ダムサイトを含む上下流の筈です。川がずいぶん湾曲させて描いてあります・・どこが何処だか?(笑)
*大通寺はグーグルマップに分かります。呑江(ノミエ?)は不明です。

帰宅してネット検索
「八百津町史の値段は?」とやっていると、望外の資料がありそうな予感!
八百津町やおつちょう(//www.town.yaotsu.lg.jp/top.cfm)から<総合メニュー><教育・文化・スポーツ><文化・文化財>で、
錦織綱場>と<旧八百津発電所資料館のご案内>を参照して下さい。
*錦織:地名でニシコオリ
**綱場:木曾谷から1本ずつバラバラに流下させた(管流し:くだながし)丸太を集めて係留し、筏(いかだ)に組み上げる(編筏ヘンハツroバツ?)場所を意味するようです。
 また江戸時代には尾張藩の施設、維新以降は明治政府の官営事業場が置かれた関係で第二義は”役所の呼び名”でもある。現代風に言えば、中部森林管理局錦織支所-かな?
錦織綱場での筏組み
転載図版1
<木曽川三川治水百年のあゆみ>(p483、建設省中部地建、平7年)から孫引き

旧八百津発電所資料館にて
入館;
入館チケット

受付カウンターで下の2冊を購入;
資料
表紙を見ただけで即決(各税込み1,000円)、そのままツレに預ける。

読後感:掛け値なしにお勧め。

最近は県外からの丸山ダム訪問者が多いとか。
関電のダム管理所は、ダムカードの配布よりも、これを扱うべし
!(笑)

館内の展示品;写真撮影に汗を流す。
内容は大きく3つのグループに分けられます。
1階:
1)いかだ流し関係:原寸大の筏がある(写真1)。その背後の壁紙が必見!(写真2,3)
2)発電関係の機械類と、ダム・発電所建設時の工事記録写真(パネル展示,写真4,5)
2階:
3)明治~昭和の暮らしぶりを想像させる日用品・・・私の年齢では珍しくもない(笑)

木曾川のいかだ流し
写真1 木曾川の”いかだ流し”

木曾川筏流送古絵図
写真2 木曾川筏流送古絵図
*上段の横長の絵図は、”木曽川川並絵図(享保)”のコピーを元図して彩色したものらしい。下段の短冊状の絵図と文の作者は、下の写真3の紹介文をお読みください。
もと筏師
写真3 筏流し絵図の作者紹介

兼山ダムの工事写真コーナー
写真4 兼山ダム工事の記録写真パネル

ダム工jに使ったスチームショベル
写真5 燃料は石炭?(隣村の伏見と御嵩町は日本有数の亜炭の産地でした)

この季節の館内は底冷えがします。パネルに貼られた写真を1づつデジカメに頂いて帰
りました。桜の咲くころに、ゆっくり時間をかけて見学するのが良いでしょう。

あとがき:
来週は少し仕事をして・・・
今日の訪問で残念な結論が早々に出そうな予感がする。続ける意欲が湧きません(笑)