The Modern Briar (by A.Dunhill "The PIPE BOOK", chp.14) ― 2009/12/09
第1段落:
クレイパイプとメシャムパイプは両方とも、煙が冷たくて香りよいという絶対的に有利な性質をもつ反面、脆さという解決できそうにない欠点をもつ。鉄や銀のような金属は耐久性はあっても、熱伝導度が大きいのでパイプが直ぐに熱くなる。また重量が重いという欠点もある。これに対して木材は、軽いこと、耐久性があること、熱伝導度が小さいことなど、パイプ材として三つの優れた要素をもっている。しかし天然の木材でパイプを作って試験をしたところ、殆どのパイプで、タバコに火をつけると直ぐに焦げたり、ひび割れが生じるなどの問題が起きた。木目が密で熱に強そうな種類の木材であっても、この問題の解決は容易ではないだろう。桜の木はパイプに必要な多くの性質を備えている。特に、初めての喫煙時からすでに軟らかい味が出るが、ボールの内側にうまくカーボンが着いてくれない。また木材の特性でパイプの外観を繊細に整形することができない。フランスで使用されているオーストラリア・アカシアはある程度の本数に達し、またウィーンでは少数の”コンゴ材”が使われているが、どちらも広汎に使われている訳ではない。ドイツではメシャムが登場する以前から、シュバルツバルト地方の農夫たちの作った木製パイプが、かなり流行っていた。それは矮生オークを原木とし、木目が密で節くれだった根を削って作ったパイプで、熱には十分強く、焦げにくいものであった。パイプ材に木の幹ではなく根を利用するというやり方は、すでに2章の図.8に例を挙げた。それは農民たちがハリエニシダの根で作った粗末なパイプであった。
クレイパイプとメシャムパイプは両方とも、煙が冷たくて香りよいという絶対的に有利な性質をもつ反面、脆さという解決できそうにない欠点をもつ。鉄や銀のような金属は耐久性はあっても、熱伝導度が大きいのでパイプが直ぐに熱くなる。また重量が重いという欠点もある。これに対して木材は、軽いこと、耐久性があること、熱伝導度が小さいことなど、パイプ材として三つの優れた要素をもっている。しかし天然の木材でパイプを作って試験をしたところ、殆どのパイプで、タバコに火をつけると直ぐに焦げたり、ひび割れが生じるなどの問題が起きた。木目が密で熱に強そうな種類の木材であっても、この問題の解決は容易ではないだろう。桜の木はパイプに必要な多くの性質を備えている。特に、初めての喫煙時からすでに軟らかい味が出るが、ボールの内側にうまくカーボンが着いてくれない。また木材の特性でパイプの外観を繊細に整形することができない。フランスで使用されているオーストラリア・アカシアはある程度の本数に達し、またウィーンでは少数の”コンゴ材”が使われているが、どちらも広汎に使われている訳ではない。ドイツではメシャムが登場する以前から、シュバルツバルト地方の農夫たちの作った木製パイプが、かなり流行っていた。それは矮生オークを原木とし、木目が密で節くれだった根を削って作ったパイプで、熱には十分強く、焦げにくいものであった。パイプ材に木の幹ではなく根を利用するというやり方は、すでに2章の図.8に例を挙げた。それは農民たちがハリエニシダの根で作った粗末なパイプであった。

第2段落:
アメリカ合衆国では、一・二世代前の農夫がトウモロコシの軸を使って、<パイプ問題>を解決していた。それはトウモロコシの実が着く内側の、硬い芯を使って作るパイプである。そのタバコの味がかなり満足できるものだということは、コーンパイプ製造業が、今日では産業として確立されていることで証明されている。コーンパイプ製造の中心地は、ワシントン州や、ミズーリー州の小さな町、中西部の穀倉地帯の中心部などにある。そして工場付近の農場では、毎年2700万本のコーンパイプを作るために、特別に大きなトウモロコシを育てて利益をあげている。しかしコーンパイプは、イギリスのクレイパイプと同じように、今日では主として社会で最も貧しい階層の人々により使われている。彼らにとってパイプは、安いことが第一なのだ。もちろんトウモロコシ自体はアメリカ以外でも栽培されている。イタリア人の農夫、南アフリカの黒人、アルゼンチンの日雇い労働者たちもコーンパイプをくわえているかも知れない。
第3段落:
理想的なパイプ材料は--- いわゆるルートブライヤーであるが、その発見は全く偶然のできごとであった。ナポレオンが1821年に死んでから20年経った頃、復古ブームが起こった。1814年の悲劇はすっかり忘れさられていた。亡き皇帝に敬意を表したい人たちはアンヴァリッド(Invalides,Paris)にある墓を訪れるだけでは満足せずに、コルシカ島に巡礼した。そこは小さな伍長の生誕地であり、セントヘレナから持込まれた彼の遺灰が弔われていた。巡礼者たちの中に、フランス人の一パイプ職人がいた。彼はコルシカ島に滞在する間に、不幸にして持ってきたメシャムパイプを壊すか、あるいは無くすかしたのだろう。コルシカの一農夫に、パイプを1本削るように頼んだ。出来上がったパイプは大変よいものであった。職人はパイプとともに、パイプを削り出した木材サンプルを大切に自宅に持ち帰った。その木材は堅くて木目がつまっていることから、コルシカでは注目されていて、ヒース木の根が原材料であった。ヒースの根材はフランス名でブリエ―ルと名づけられ、その日から50年にわたって他のすべてのパイプ材にとってかわることが運命づけられた。フランスのパイプ職人は、コルシカ島から持ち帰った根のサンプルを、自分がパイプの軸をいつも買い付けていたセントクロードにある工場へ送って、火皿に加工して貰った。セントクロードの木工製品は既に有名であったが、ここでもう一つの名声が加わることになった。
第4段落:
セントクロードという小さな町の歴史には注目すべきものがある。その町はジュラ山脈のはずれの谷間で、樹林に縁取られた白い石灰岩の峰に囲まれている。住民は林業や牧場などで生計を立てている。冬には湿った重い雪が降るので、牛を小屋に入れなければならず、戸外の仕事はできない。それで冬が過ぎ去るまでは、アルプスやノールウェイの村人と同じように、屋内で、あらゆる種類の家庭用具を作りながら過ごす。町の中心にある大きな修道院では、修道士たちが近所に豊富にある木々から採った角材を使ってロザリオの数珠玉を削って磨いたり、信仰のための他の小道具を作っていた。それは一種の娯楽の代わりでもあった。修道士たちの作る木工細工はろくろ師が作ったように立派なもので、良くできたロザリオは村祭りの時などに、修道院の外のマーケットに並ぶようになった。農夫たちも修道士たちに倣って、色々な生活用の小物を作るようになった---それは樽の栓、糸巻き、嗅ぎタバコ容れ、鉢などで、自分たちが必要とする以上の品数であった。そこに、18世紀になってパイプの軸が加わったのである。こうしてろくろ細工(turnery)が産業として確立した。その時までは、フランスの都市部や平野部に出稼ぎに出ていたセントクロードの若者たちが、谷間の町に留まるようになった。その結果、かつての小さな村は、繁栄した小さな町に成長した。修道院は今や立派な教会になった。セントクロードは二つの急流の合流点に立地するが、ろくろ加工業が家内工業から工場へと成長するにつれて、旋盤と研磨機の動力源として水力を利用するようになった。
第5段落:
伝統的なろくろ加工技術をもったセントクロードに、初めてbruyère root材が持ち込まれたという偶然は、幸運なことに町を成長させる原動力となった。そしてパイプ産業は、元の細々とした木工細工を周辺の村々に追いやることになった。しかしこの新しい産業の成功も深刻な失敗なしに成し遂げられたのではない。というのも、bruyère rootは樹齢、産地によって材質が異なっており、こぶや節が非常に多く、しばしばひび割れを持っている。そのためrootを効率よくカットするためには熟練者の判断が必要なのである。さらに乾燥工程はさらに難しいことである。しかし、これらの困難な初期処理に成功した結果、新しいフランス産のブライヤ-は着実に名声を獲得した。そして一年に3000万本以上のパイプがセントクロードで作りだされている。フランス人自身はつい最近まで、パイプ煙草よりもシガレットを好んでいたので、セントクロード製パイプの90%は輸出用である。イギリスがセントクロードから輸入しているパイプ本数は、政府統計によると、毎年2500万本である。一方で輸出高は25万本のイギリス製超高級品と、2000万本のクレイパイプである。
第6段落:
山岳地にある”白い石炭”を最大限利用しようというフランスの政策により、パイプ工場に大規模な電気設備が整えられて、5000人の住民に雇用が確保された。これはサンクロードの全人口14,000人に対して相当に高い比率であり、男性と同様に女性たちも火皿磨きの職に大勢が採用された。サンクロードは狭く、急斜面に囲まれた谷間に立地しているので、工場用地の問題がある。その土地問題を、非常に高い建物を作ることで解決しようとした結果、ニューヨーク風に空に向かって街が成長している。
第7段落:
bruyère rootは、コルシカだけにある訳ではない。地中海西部沿岸の全域に、それぞれの区域の気候に適応した固有種が分布している。強い干ばつと熱い夏の後に、温暖でにわか雨の降る冬が来る。そうするとヒースは、干ばつ期でも枯れないように、根を地中深く、大きく、かつ密に発育させる。このことがbruyère rootに特別な価値をもたらす。また土地の性質も、影響を与えない訳ではない。ヒースの最良の根は、岩が露出した小山の裾で、岩の裂け目を広げて入り込んだような根である。現在の主要な産地として、南イタリアのカラブリア地方とアルジェリアを例にあげる。そこではヒースの成長が非常に遅いため、ルートが殆ど見られなくなる日が来るに違いない。そしておそらくその時には、代用木が見つけられているだろう。しかしこれで総てではない; 最良のルートは、ヒースが枯れてしまい、その位置のままで乾燥した根のことである(seasoned in situ)。これをdead-rootという。樹が自分自身で生命を絶ったというべきもので、決して人工的に作ることはできない。
第8段落:
ジュラ山地に住む人で、家畜を飼っている人々は昔から 動物の角を加工する副業を続けてきた。それで、角を加工したマウスピースはこの地域で最初に作られた。また高級パイプ用(pipe du luxe)の、コハク(amber)や象牙製のマウスピースも作られていた。(主にメシャム用か?)しかしブライヤーパイプが数多く生産されるようになると、安価で良質なマウスピースを作る必要性が高まった。その経緯があって1878年に、あるイギリスの工場で、エボナイト(またはヴァルカバイト)製のマウスピースが発明されるに至った。イギリス人により発見されたものが、ドイツ人の優れた科学技術の知識と施設設備によって完璧なものに仕上げられるというケースは多い。そしてドイツで独占的に生産されるというケースはよくあることだった。しかしマウスピースの場合は事情が異なった。第一次大戦の少し前に、セントクロードにマウスピースを作る小さな一工場が創られた。そして戦争でドイツ製マウスピースの供給が途絶えた時に、その小さな工場は、単なるマウスピースの需要増に留まらず、電気器具の重要部品を作る需要も得て事業を拡大した。もちろん今や、フランスのマウスピース産業は確固とした地位を確立しており、ドイツの独占体制は失われている。
最終段落:
極東アジアにおける喫煙者たちの前史については、我われは殆ど知らない。また彼らの使用したパイプも殆ど残っていない。アメリカ大陸における先住民の数千年に及ぶ喫煙の歴史はパイプを発達させた。それらは時には入念に仕上げられているが、普通は不格好なものでありパイプの多くの部位に粗粒な陶器や小石の装飾が付けられている。ヨーロッパにおけるパイプ製作者たちは、初期のころにパイプ装飾を捨て、約400年かけてパイプ製作術を完成させた。
彼らの到達点は、”単純のパイプの完成”である。入念に飾り付けられたパイプは、大きさと形が無骨であって、幼い子供(the young)や無教養(the semi-barbaric)な人がもつものである。
20世紀の玄人(connoisseur)は、自分のパイプには自然に養生された(self-seasoned)
bruyèreと、優秀な職人が作った単純なバルカナイトマウスピースからできたパイプを選ぶ。つまりその種のパイプとは、全体の均整が取れていて、とりわけ小さな穴などがない繊細な木肌の美しさを持ち、木目が柾目のパイプである。
(02/02/2010本文終り)
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