再び;W・ウエストン師の”北日本アルプス氷河現象論争”2015/07/13

ウエストンは、何を観察して、氷河は無いと主張したか-について;

『北 アルプス探検』192ページの9-10行に、白馬雪渓登山を基に氷河に言及した一文があります;
①【クレバス周囲の岩石自体は、氷河が流動した痕跡を連想させる】続けて
②【(この山に2回登った)。1913年には氷河作用を示す痕跡を全く見い出せなかった】

Weston1915
写真2 ”北日本アルプスの探検(Exploration n the Northern Japanese Alps)"の192頁と白馬大雪渓の写真。 The Geographical Journal (Vol.46,No.3,1915)より。写真の撮影者はO.M.Poole.(裏面の槍ヶ岳写真の下に表示されている)

『氷河問題』に関係する記述は、この数行だけです。
①でウエストンの視野に入っているのは、雪上(或は雪に埋まった)の岩石群です。観察対象と云って良いのは、この転石群だけ-原文では "The rocks of the ravine itself。しかしそれらの岩石あるいは配列の特徴はコレコレだと云うような、具体的な記載はない-写真を見て勝手に想像せよ、見れば分かると云わんばかり-です。
②では、①の観察内容が【氷河は無い】証拠に含められていますが、理由は書かれていない。原文では氷河現象を示す複数の証拠を念頭に置いて判断したようです。しかし何を探して、何が見つからなかったか-読者には全く分かりません。

①と②の文言を挿入写真と見比べていて、ふと、ウエストンの問題意識はそもそも【この雪渓は氷河なのか、そうではないのか】-だったのではないだろか・・・少なくとも1915年時点までは-と思いました。氷河問題に関心があって雪渓背後の地形を記述しないのはちょっと変です。山崎直方の問題意識(1902a)とは異なる視点から白馬雪渓を見ている-と想像します。もしそうであれば山崎直方もウエストンに同意するでしょう。

『未刊行著作集』で翻訳された『氷河論争』は、上記②を補完する内容です。
その要旨は【英国の先輩二人と同じように、私も日本に氷河は無いと思う】。

ウエストンは1919年には ”The Playground of the Far East”を著した。そのⅨ章は
The Northern Alps Revisited (Ⅱ)Shiroumaー”The White Horse Mountain"ーGlacial Phenomena in Japan? 。文庫本(水野勉訳:”日本アルプス再訪”1996平凡社ライブラリー)で読めますし、原文もPDFで見ることができます(例:Forgotten Books)。
内容は『未刊行著作集』での引用少く偏っている反省からか、日英独の研究者10人を追加した、云わば研究者列伝-日本の氷河研究史を充実させています。
しかし、1915年以降に白馬山を氷河問題を解決しようと再踏査した訳ではない。ウエストンが紹介する記述には、観察事実の記載的な部分が省略されて?いて、いきなり成因論が入り込んでいる-水掛け論みたいなもの。読んでもくどいだけ。現代でも新聞やテレビでよく見かけます。神保の反論も少しは違ったものだったかも知れません。

ウエストン自身は1919年になって【氷河期の氷河が残した氷河地形】を視野に入れるようになったーと読み取れなくもない-。しかし『師の氷河問題』は観察事実の記載が無く、抽象論に過ぎない-と云う意味で難解です。なぜ抽象論に走ってしまうか-「白馬を踏破した時に、問題意識を持って観察しなかったからです。」

もう少しましな結論を出せるかと続けましたが、深入りしない方がよさそうです。
当初の目的通りに、鮮明な写真で大昔の風景を愉しめたらそれでよし。

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