山崎直方の『氷河果たして本邦に存在せざりしか』2015/07/12

『氷河論争』原文の所在地が分かったところで、次はウエストンが反対した山崎直方の論文探しです。こちらは多くのPDFファイルが簡単に見つかりました。ブログの表題は、山崎直方の論文(1902)の標題を借用したものです。これは1902年9月に東京地質學會で行われた講演の筆記録で、地質学雑誌の第9巻第109号(pp.361-369)掲載。

ウエストンに『山崎と論争した相手』とされた神保教授は;
一貫して、『[山崎の見い出した全ての現象*は風化の産物と見做し得る]との立場をとった』-らしい。それで次は神保論文さがしです。
多数のタイトルから”氷河”に言及していそうなものが無いかと探したが、地質学雑誌には見つかりません。地学雑誌と地理学評論にもなさそう**。
『論争』と翻訳されていても誌上の論争では無かった-と想像します。神保教授が自分で反対の論説を書いたとは想像しにくい**。
註*:山崎はモレーン、条線を挙げている。
註**:神保小太郎は山崎講演のときに別解釈の可能性を述べたのではないだろうか。自分のテーマではなく、かつ可能性が低いと予想する所へわざわざ調べに行かない-行かなければ書けない。
そういう訳で、このブログで〖山崎 対 神保〗を再現することはできません。

代わりに『山崎 対 神保の代弁者ウエストン』を仮想して読み比べ。まず資料整理。
山崎直方(1870-1929)
1.(1902a)氷河果たして本邦に存在せざりしか
2.(1902b)氷河果たして本邦に存在せざりしか(前号の続)
3.(1914a)飛騨山脈に於ける氷河作用に就いて
4.(1914b)飛騨山脈に於ける氷河作用に就いて(承前)
(注 1と2、3と4はページ数の都合で2分冊に分けて掲載された。内容は連続)
ウエストン(1861-1940)
5.(1915a)Suggested glacial phenomena in the Northern Japanese Alps.
6.(1915b)Exploration in the Northern Japanese Alps.
(注 5は論説,6はコラムで5の註解を兼ねる)

一読して分かる違いが二つ;
相違点1:『日本の氷河問題を最初に取り上げたのはミルン』だとした後で、
山崎は    『有ると言った』(1902a,p.1-2)
ウエストンは 『無いと言った』(1915b,p.239)

相違点2
2)本題の『氷河果たして白馬岳に存在せざりしか』について、
山崎直方は 〖有〗(1902a,b)
ウエストンは【無】(1915a,p.192)

相違点1について;ミルンの講演録は見つけていません。
山崎によれば、アトキンソン(立山)、キンチ(1876,針ノ木峠)、ダイバースらの見聞に基づいて、〖ミルンは氷河有〗と結論した-と引用して居ます。少なくともその時点ではミルン自身は現地を訪れてはいないようです。ジョン・ミルン(John Milne 1850-1913)の講演は,アジア協会雑誌(1880,第9巻)にのったようです。2013年は没100年で、地震学会や国立博物館などのHPに特集があります。

単純化すれば
山崎は、先行研究者があると予想し、自分もそれを確認した。
ウエストンは、先行研究者が無いと言ったように、自分も無いと思う。