三浦ダム見聞記#03-鞍掛峠を越えて2018/01/09

 三浦ダムを訪れる際の表玄関は、今日ではJR中央線の木曽福島あたりでしょうか。マイカー利用の場合は、普通には国道19号で木曽町から長野県道256号御岳王滝黒沢線を利用する。『三浦ダムは信州』との認識が、一般に定着しています。

 ”みうれ”(三浦)ダムとその貯水池は、霊峰木曾御嶽山の南麓に位置し、長野県王滝村地内を東西に流れる木曽川水系王滝川の最上流域にあります。王滝川が木曽川本筋に合流する地点は木曽町です。合流点から現在のダムサイトまでの流路長は、電子国土Webの縮尺1/250,000図で大雑把に測ったところ、約38kmもありました。

 これから暫くの間、「流れとともに 石川榮次郎傳」(以後「伝記」と略す、有吉天川・出口啓輔共著、昭和30年)によって、三浦ダムの歴史を探ります。

そもそもこの地への入植は、鎌倉末期らしい-遡ること700~800年の大昔。
 三浦(みうら)の一族(三浦太夫)が北条軍に敗れ、飛騨(下呂)から鞍掛峠を越えて、三浦(みうれ)山の麓にある三浦平(標高1,300m)に逃れてきた。しかしそこが極寒の地であったため、再び安住の地を求めて川を下り、滝越しに移り住んだ・・・という伝承が語り継がれているようだ。

伝記第二十章<奇跡”三浦の岩盤地帯”の発見>から
ダム計画の興りは、大正10年頃のこと
  大同電力と日本電力がそれぞれ滝越の地に発電所を作る計画をたて、長野県に対して水利権を申請していた。日本電力の計画は、三浦に貯水池を作って飛騨川に流すという流域変更を伴うものであったことから認められず、すでに王滝川や木曽川に多くの発電所や水利権をもっていた大同に水利権が与えられた-と云う経緯があった。

ダム地点の選定経緯;
 大同電力のダム計画は、当初は現在の三浦ダムから二里下流の滝越を第一候補としていた。そこは『滝越地点は両岸相せまり岸壁屹立(きつりつ)し、川底は一枚岩の如く岩石露出し、一目見ただけで、神様がここにダムをつくれと指定したような絶好な地形であった。』
 ・・・『本格的な調査を始めると、ダムができると家が水没してしまうことから全住民が反対し、宿泊場所も得られなかったので、調査隊は遠い道*を毎日歩いて通わなければならなかった。』・・・しばらく後になってからは、三浦某氏に宿を提供して貰い、そこを足場に測量調査が一年余り続けられた-と云ことである。

 調査の結果、両岸の横坑や竪坑でみる限りは硬質な岩石が分布していて良好なダム地点と見られた。しかし左岸の鞍部を掘ると火山灰が厚く堆積しており、良い所は川縁だけと云うことが分かって断念。次に3km下流の柳ケ瀬地点を調査したが、右岸に火山灰があり、そこでも断念せざるを得なかった。
 ・・・その後、火山灰の無い場所を求めて滝越から上流の人跡未踏の地へ分け入り・・・
現在のダム地点を見出し、測量に掛ったのが大正14年冬で雪が降り始めた-云々。
 
 ここで一つの疑問:『調査隊が毎日歩いて通った』『遠い道』はどこか?
本文に直接には示されていない。しかしこの舞台は、『中央線上松駅から王滝川に沿って遡ること四十二キロ、また高山線下呂温泉から信濃飛騨の国境鞍掛峠を越えて進むこと十八キロ、千古斧鉞(せんこふえつ)を加えざる大密林・・・』と紹介され、『木曽路にありながら、交通は岐阜県側を主としており人里離れた”埋もれた村”であった』。
このような記述を読むと、<下呂の御厩屋(みまや)から鞍掛峠越え>が想像される。下呂温泉との往復では、明治の人がいくら健脚であっても仕事の時間が取れないだろう。
 
伝記第二十三章三浦の密林地帯で>から
 昭和3~4年頃から、ダムサイト予定地付近に小屋を設営して炊事婦を雇い、常駐しながらの調査が続けられたようである。
 或るとき、野草を朝の味噌汁に入れて食べたところ、多くの調査員が中毒症状を起こしてもがき苦しみ出した-と云う事件が起きた。その時、幸にして近くの谷川にいたヤマメ釣りの男が、鞍掛峠を越えて三千尺を下り、竹原(下呂市)から医者を連れて来てくれて、事なきを得たそうな。
 大正から昭和・戦前の人々には、それが医者であれ炊事婦のおばさんであっても、竹原(御厩屋)から三浦へ鞍掛峠を越えての往復くらいは何でもないことだったらしい! 

閑話休題、比較的現在に近い昔の三浦はどうだったか-に関する記述;
 「岐阜百山」(岐阜県山岳連盟編集”白草山”の解説,p157,昭和50年)によれば、
 『御厨野から登っている林道は、・・・
平野増吉翁が、王滝国有林の材木を岐阜県側へ搬出するために切り開いた・・・
マイカー事故を心配した営林署が、昭和49年9月に一般車の通行を禁止した・・・
以前は、御岳開発(株)のバスが、三浦ダムキャンプ場へ峠を越えていた・・・』

どうやら昭和50年代に入って、下呂と三浦が縁遠くなったらしい。
                                -続ー