兼山ダム見聞記#072017/01/21

1月21日 大安の土曜日
 電力中央研究所ホームページ(//criepi.denken.or.jp/)にある研究報告書データベースで、”古の調査報告書”を探していたところ、思いがけない資料が出てきた;
田中治雄(1957)「わが國における貯水池築造に関する応用地学的研究」(昭32年の技術研究報告-土木・57011、pp1~263)。
 この大作のなかに、『兼山ダムの現場視察報告書』*から引用されたダムサイトの地質平面図と断面図(模式図)があった! ので、下に転載します。
兼山ダムの地質図(岡田清蔵,1940)
*岡田清蔵(1940):木曽川水系木曽川兼山水力発電所工事現場視察報告.水力試験所々報、第4009号、昭和15年2月.
補注:図2-43の右下注、”(田中)1940”は、(岡田)の誤りでしょう。現場視察は昭和14年12月から15年1月くらい?で、河床掘削を始める前段階の視察報告と思われる。

 前回の記事で、地質の種類について古生層と第三紀層という2つの名称を使いました。これは”物質モノが出来た時代を区分する”名称です。
 図2-43の凡例で岡田氏は粘板岩と、角礫凝灰岩、段丘堆積物と云う3つの名前を使っています。これらは物質分類の名称です。時代区分との関係は、古生層=粘板岩、第三紀層=角礫凝灰岩です。これまでの記事で段丘礫層には注目していません-省略です。
 図4-23では、川の真ん中から右岸に”台形”のように分布する地層が描かれているが凡例では省かれています;川原の玉砂利です。この砂利層は、図2-44断面図には省略されている。その理由は岡田氏が、『砂利層は問題視するほどには厚くないだろう』と推定しているからです。
 さて、この推定断面図の着眼点は二つあります;
1)『砂利層の下には第三紀層が分布し、古生層は無い』-と考えられていること。
2)『ダムの位置は、第三紀層と古生層の境界からほぼ均等に離れている』ことです。
後者は川の上下流断面での特徴で、横断面での第三紀層は左岸に近づくほど薄いかもしれない-と思わせるような平面図です。
註)田中治雄先生の兼山ダム関する所見はここでは引用しません。関心のある方は電研のデータベースで読んで下さい。

 前回記事で兼山ダムの地質に関するアバウトな印象を書きましたが、岡田氏の図を見ると当たらずとも遠からず-かなぁ~ です。
 左岸の湾曲が変だ!で書き始めた兼山ダム見聞記でしたが、この視察報告が世に出るに及んでは、『湾曲は自然のメカニズム(差別浸食)だなぁ~』
ありきたりの結論で終わりました。
 
 享保川並絵図に兼山ダムの位置を描き込みます。電子国土Webの地形図を参照すると、現在も左岸にある小川の位置が決め手になりそうです;
享保絵図に兼山ダム
ダム軸は赤線の位置にくると思います。
この絵図は左岸の湾曲がさほど大きくない-むしろ描かれていないに等しい。そのことが不思議ですが、これ以上の詮索には意味がなさそうです。

 最後に、発電所から少し上流にある”殉職慰霊碑”に合掌し、見聞記を終わります。
兼山ダムの慰霊碑

兼山ダムの慰霊碑2
*殉職者は18名。半島系の苗字の人も数名含まれる。

コメント

トラックバック